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鷹キャンプついでに生目古墳群を散策

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 先週末、宮崎市の「生目(いきめ)の杜スポーツ公園」で行われている福岡ソフトバンクホークスの春季キャンプ見学に行ってきた。しかし、午前中に雨が降ったため、予定されていた紅白戦は中止。しばらくはバスで宿舎に帰る選手の「出待ち」をしていたが、何となくもったいないと思い、スポーツ公園とは県道を挟んで向かい側にある「生目古墳群史跡公園」を散策することにした。2008年4月に開園した比較的新しい史跡公園で、広大な敷地の中には、全長100㍍を超える前方後円墳や葺石で覆われた復元古墳などが点在している。福岡にも古墳は多々あるが、近接した場所で複数の古墳を見学できる場所はあまりない。「出待ち」よりも有意義な時間を過ごすことができた。

 生目古墳群は、跡江丘陵と呼ばれる東西1.2㌔、南北1.3㌔、標高約25㍍の台地上に、4~6世紀に営まれた古墳群で、戦時中の1943年に国史跡に指定されている。現在、前方後円墳8基を含む50基の古墳が確認されているが、特筆されるのは古墳時代前期の4世紀に築造されたとみられる全長100㍍超の前方後円墳3基が存在することだ。中でも全長143㍍と最大の3号墳は、九州の古墳の中では西都原古墳群(宮崎県西都市)にある女狭穂塚、男狭穂塚に次いで3番目の大きさ。前期に限れば、九州最大だ。古墳群の調査に当たっている宮崎市教委は、古墳時代前期、当時の生目には南九州でも突出した権力を持った首長が存在し、盟主的な地位にあったとみている。

 こういった古墳群についての概要は、史跡公園内にある宮崎市の埋蔵文化財センター「生目の杜 遊古館」(2009年開館)の展示資料や、宮崎市教委から多数刊行されている生目古墳群の発掘調査報告書で調べたのだが、この古墳群の歴史的価値について知れば知るほど不思議になった。宮崎市には昭和の終わりから平成の初めにかけて住んでいたことがある。当時は20歳代とあり、現在ほどには歴史や史跡に興味があったわけではないが、それでも西都原古墳群をはじめ、宮崎県内の史跡は数多く回った。しかし、この古墳群については当時、名前さえ聞いたことがなかったのだ。「お前が無知なだけだ」と言われれば、それまでだが、古墳群が1993年まで、捨て置かれたに近い状態であったのも確かのようだ。

 上記のように国史跡となったのは1943年。宮崎県内の古墳は戦前、戦中に国史跡、県史跡に指定されたものが多く、そのため非常に多くの古墳が良好な状態で残っているが、その反面、発掘調査による解明がほとんど行われていなかったという。生目古墳群についても同様で、根拠不明なまま古墳時代中期以降の古墳群と位置付けられ、前期の古墳としては特筆される大きさの3号墳も、女狭穂塚、男狭穂塚と同じ中期(5世紀)の古墳と考えられていたことから、研究者の認識も薄かったという。(『生目古墳群Ⅰ―生目5号墳発掘調査報告書』2010)

 しかも生目古墳群は、1961年には跡江丘陵をミカン畑とするための土地改良事業により「数多くの古墳が形状の変化や消滅の憂き目にあっている」(『史跡生目古墳群周辺遺跡発掘調査報告書』1996)。1976年には保存のための管理計画が策定されるが、これは計画倒れに終わり、体系的な発掘調査や史跡整備が本格的に始まったのは、同古墳群の史跡公園整備事業が宮崎市の市制70周年記念事業の一つに取り上げられた1993年以降のことだった。戦時中に史跡指定されたとはいえ、この古墳群に日が当たったのは、1990年代以降と言ってよいだろう。

 発掘調査や史跡公園整備は現在進行形で続いている。来年以降、ホークスの春季キャンプ見学に行く際は、生目古墳群にも足を運び、史跡公園の移り変わりを見ようと思う。写真は上から、生目の杜スポーツ公園のメイン球場、アイビースタジアムのスコアボード。同公園も宮崎市制70周年記念事業で建設された。この場所にも古代の掘っ立て柱建物跡などが見つかった深田遺跡があったという。3枚目が古墳群最大の3号墳。墳丘には自由に登ることができるが、ほとんど森の状態。4枚目が、2006~08年度に復元された小型の前方後円墳の5号墳で、表面は9万個ものこぶし大の石で覆われている。隣接地で見つかった地下式横穴墓1基も復元されている。葺石は古墳時代と同じく、直近にある大淀川の石を使う予定だったが、調達できなかったため、材質の似た小丸川(高鍋町など宮崎県中央部を流れる)の石で代用したという。

 なお、国史跡指定当時、古墳群があったのは生目村だったため「生目古墳群」と命名されたが、現在の所在地は宮崎市跡江。生目地区は古墳群から南に4㌔離れた場所にあり、現在となっては「いささか違和感のある名称だ」と市教委は評している。
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