隠家森は1300年前、本当に森だった

2020年03月21日
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経済&観光
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 福岡県朝倉市山田の小さな公民館前に、「隠家森(かくれがのもり)」と呼ばれるクスの巨木がそびえている。胸の高さの幹周りは18㍍、高さ21㍍。巨樹が多いクスの中でも全国8番目の大きさだとされ、戦前の1934年には国の天然記念物に指定されている。樹齢は推定で1500年以上。朝倉、うきは市の農産物直売所巡りの際に通る道沿いにあり、たまたま近くのコンビニで買い物をした際に写真を撮ってきた。コンクリートの支柱で大枝は支えられ、他にも大枝が折れた跡があるなど満身創痍の状態に見えたが、現地説明板によると、2006年から行われた治療により、樹勢は回復傾向にあるという。

 隠家森という奇妙な名前の由来は、現地説明板や『福岡県史蹟名勝天然記念物報告書』第10輯(1939)などの資料によると、以下の通りだ。飛鳥時代の661年、滅亡した百済の残存勢力から救援要請を受けた斉明天皇は、これに応えて九州に軍を進め、現在の朝倉市に臨時の宮(朝倉橘広庭宮)を置いた。この宮の警備のため、朝倉の関が置かれたが、後ろ暗いことがある者はこの森に隠れ、夜に関所を潜り抜けた。そのため隠家森と呼んだ、と。

 1本の巨樹を「森」と呼ぶ例は、山口県下関市の
「川棚のクスの森」や福岡県宇美町・宇美八幡宮境内の「湯蓋の森」「衣掛の森」の例があり、特に違和感を持たなかったが、『福岡県史蹟名勝天然記念物報告書』には「其の頃は森林なりしも次第に伐採開墾されて今は其の頃より大木なりし樟の一株残り隠家森と称し丑天神を祀る」とあった。飛鳥時代は本当に森があり、唯一の生き残りが隠家森ということらしい。

 考えてみれば、661年とは今から1359年も昔。隠家森も現在のような巨木であったはずがなく、1本だけでは身を隠すことはできなかっただろう。なお、『福岡県史蹟名勝天然記念物報告書』には隠家森の樹高は26㍍とあり、戦前は現在よりも5㍍高かったことになる。1991年の台風で大枝が折れたといい、この時の被害が原因だろうか。

 話は変わるが、農産物を買い込んだ朝倉市の「道の駅原鶴」前の畑では、菜の花が満開で一面黄色に染まっていた。1.5㌶に60万本が植えられているという。この畑は秋にはヒマワリの花でやはり黄色に染まる。直売所はこのほか、同市の「三連水車の里あさくら」、うきは市の「にじの耳納の里」を巡ったが、三連水車の里では、昨年12月にテロで倒れた中村哲さんのアフガン支援活動を紹介する追悼写真展が開かれていた。朝倉市には、中村さんがアフガン緑化のモデルにした筑後川の山田堰がある。
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