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ヒルコと恵比寿さんが同一だったとは

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 以前、福岡市博多区麦野を通った際、「稚児恵比須神」という小さな神社を見掛け、参拝してきた。境内にあった「稚児えびす神の由来」に面白いことが書かれていた。「蛭児尊は恵比須神の前の御名で伊弉諾尊の第一の御子として、七福神の内の御一人であり、幼児の守護神として…」。詳しい人にとっては常識なのかもしれないが、蛭児(ヒルコ。蛭子とも書く)が恵比寿さんと同一の存在として扱われていることを恥ずかしながら初めて知った。そう言えば、蛭子と書いて「えびす」とも読み、そんな苗字の漫画家兼タレントさんがいたなと思い出した。

 ヒルコは、イザナギ、イザナミの両神から生まれた子供の一人だが、3年経っても足腰が立たなかったため、鳥之石楠船に乗せて流されたと『日本書紀』にある(次生蛭兒、此兒年滿三歲、脚尚不立。<中略>次生鳥磐櫲樟橡船、輙以此船載蛭兒、順流放棄)。この一文、素直に読めば、障害のある子供を捨てたとしか受け取れないが、戦前に出版された『日本建国講話』(熊田葦城、1937)には「日本統一に向かうイザナギが出発直前、ヒルコを船で安全な地に送った」といった趣旨のことが書かれていた。ヒルコはその後、親切な国津神(日本土着の神々)に拾われ、桃太郎に育ったという……。熊田葦城(いじょう)は、歴史家であり、新聞記者でもあった人物。経歴の似た徳富蘇峰と親交があったらしいが、蘇峰はこれを読んで絶交する気にならなかっただろうか。

 私自身はと言えば、ヒルコを題材にした諸星大二郎さんの漫画『妖怪ハンター』第1作「黒い探求者」のインパクトが強すぎ、書紀の例の一文については、ヒルコという邪悪な怪物を異世界に封じた、という解釈で凝り固まってしまっている。いい年をしてマンガに影響を受けているわけで、桃太郎説を笑えないが、このことの是非は措いておいて、これが理由で邪悪な(と思い込んでいる)ヒルコが福々しい恵比寿さんと同一視されていることは意外だった。

 両神が結びつけられた理由について、やはり戦前に出された『国民伝説類聚』(島津久基、1933)には「海中に放たれたという点と、蛭子の字面の類似連想からか憐れなこの小神は、何時の間にか七福神の一たる恵比寿にまで進展して」とあった。どういう理屈でヒルコが恵比寿さんになったのか、これではさっぱりわからないが、商売繁盛の神様というイメージが強い恵比寿さんだが、海神でもある。海を介して二つの神が結びつけられ、ヒルコとして流されたが、流れ着いたら恵比寿さんに変じていたということだろうか。恵比寿さんの正体については事代主とする説もあり、稚児恵比須神から近い大野城市雑餉隈町にある雑餉隈恵比須神社は事代主の方を祀っている。

 稚児恵比須神の境内奥には「蛭児尊」と刻まれ、注連縄が掛けられた石碑が安置されている。注連縄で隠れ判読できないが、石碑の上部には梵字らしき別の文字も刻まれている。「稚児えびす神の由来」に書かれている「千数百年の昔から太宰府神社の境内に祭祀されていたが、昭和二十七年にこの境内に遷し、鎮座し奉ったのである」とは、この石碑を指しているらしい。もともとは梵字板碑(主に南北朝期に建てられた供養塔)で、後に「蛭児尊」の文字を刻んだようにも見えた。


 「緊急事態宣言」を受けて、外出自粛中のため、過去記事の修正を行っています。この記事は2016年6月に書いたものですが、説明不足だったところなどを補い、再度アップしました。このほか、「油山山麓にある海神社」「安寿と厨子王の父の墓が福岡にあった?」「日銀北九州支店、初代支店長は高橋是清」などを一部書き直しています。
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