藤崎の旧名は「富士見崎」?

2020年04月17日
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歴史雑記
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 福岡県糸島市にある可也山は、円錐形の姿をした美しい山で、糸島富士、筑紫富士などの異名もある。独立峰のため、写真では結構な高さに見えるが、実際の標高は365㍍。本家の10分の1程度だ。山容は、東側の福岡市方面から見た方が美しいとも言われ、福岡市西区には富士見という町がある。現在は「富士見」と付く地名は市内に他にないが、早良区藤崎が昔、富士見崎と呼ばれていたとも言われる。本当なのだろうか?

 情報元は、福岡市発行の『ふくおか歴史散歩』第3巻で、次のように書かれている。「(略)富士山に似た可也山が遠望できたので、藤崎を富士見崎といった。しかし江戸時代に入り百道松原や人家が建ち並び、可也山が遠望できなくなったため『フジミサキ』から『フミサキ』『フジサキ』と町名の呼び方が時代とともに変わってしまった」。

 出典は明記されていないが、この一文によると、恐らくは江戸時代の初め頃まで、現在の藤崎から可也山が一望でき、富士見崎と呼ばれていた。その後、松の植林などで視界が遮られ、地名が移り変わっていったことになる。しかし、この地名の変遷が、文献ではたどれないのだ。

 1709年(宝永6年)に完成した貝原益軒による福岡藩の地誌『筑前国続風土記』には、すでに「藤崎村 麁原村の内」と記されている。また、この100年以上の後、1821年(文政4年)に奥村玉蘭が完成させた挿絵付きの地誌『筑前名所図会』にも、やはり「藤崎口」と記され、海岸沿いの松林の中に曇華庵(現在もある黄檗宗千眼寺)や一里塚が描かれている。江戸時代に入って可也山が望めなくなり、地名が変わっていったのならば、せめて江戸時代前期には編纂が始まっていた『筑前国続風土記』には、フジミサキ、またはフミサキと書かれていても良いと思えるのだ。そもそもフミサキはどんな漢字を当てたのだろうか。それすらわからない。

 これは江戸から大きく時代が下った昭和時代の話になるが、年配の人の中には藤崎を「フミサキ」と発音する人がいたのは事実で、私も漠然とだが聞いた記憶はある。ただ、これは要するに方言の問題だったと思われる。西日本シティ銀行が発行している小冊子『博多に強くなろう』シリーズの「城下町福岡の町並」で、秀村選三・九大名誉教授が次のように証言している。

 「室見」は現在は「ムロミ」と言われていますが、古くからの人は「モロミ」と言いますね。「藤崎」は「フミサキ」と言ってたんですよ。紺屋町も、NHKのアナウンサーが放送で「コンヤマチ」と言ったりして…。本当は「コウヤマチ」だと言っても、「NHKの放送でコンヤマチと言いよったけん、ソリャ、先生の方が間違うとぉ」と言われたりします。

 『ふくおか歴史散歩』は市政だよりの連載を新書にしたもので、全6巻が刊行されている。福岡市の歴史的な出来事などがコンパクトにまとめられていて非常に読みやすく、このブログを書くに際しても時折参考にさせてもらっている。恐らく、この富士見崎の一文も信頼性のある話で、江戸時代の地誌に書かれていないからと言って、いちゃもんをつける私が間違っているとは思うが、少なくともフミサキと呼ばれていた時代の文献資料ぐらいは明示して欲しかった。

 写真は、藤崎に近い早良区百道浜の福岡タワー展望室から、望遠で撮影した。展望室は地上123㍍の場所にあり、こんな場所からでないと可也山はもはや見えない。冒頭に紹介した西区富士見は、区画整理事業で誕生した比較的新しい住宅地で、2006年10月に旧名の西区田尻から改称している。行ったことのない土地だが、可也山は西に数㌔の場所にあり、恐らく地名に偽りはないだろう。


 2013年の記事を大幅に書き直しました。
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