二つの稲荷神社、松山神社と杉山神社

2020年04月18日
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歴史雑記
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 福岡市早良区西新2丁目に、似た名前の神社がある。松山神社と杉山神社。二つの神社の存在を知った時、なぜ同じ町内に同名の神社があるのだろうと不思議に思ったが、よく見たら一字違っていた。両神社とも小さな稲荷神社で、特に松山神社の方は鳥居と小さな祠があるだけのささやかな社だが、規模に似合わない大きな看板が掲げられ、「九州で一番古い稲荷神社」を名乗っている。元寇関係の文献に同神社の名前が出てくるというのが論拠だが、『福岡県神社誌』(1945)には平安時代の9世紀には稲荷信仰が福岡県内にもたらされていたと記されている。両者の言い分には400年もの開きがあるわけで、こういった話はなかなか興味深い。

 松山神社の看板には、以下の由緒が記されている。「九州最古の稲荷神社で文永十一年(一二七四年)甲戌拾月八角田(博多)蒙古襲来し日田郡主弥次郎永墓(※)は筑前国早良郡姪浜及び百路(道)原稲荷祠の處で忠死せりと言ふ文献がある。伊勢の皇大神宮の外宮で京都伏見稲荷大社の直轄の末社である」(※墓と書いてあるが、基の間違いだと思われる)。

 わかりにくい文章だが、文永の役の時に存在していたことが文献上も明らかなのだから、九州最古の稲荷神社だと主張しているようだ。しかし、肝心の創建時期は、この由緒からは不明だ。

 一方、『福岡県神社誌』には、県内での稲荷信仰の広がりについて、「農業神に対する信仰もこの時代(※平安時代のこと)真摯を極め京都伏見の稲荷神社も多く本県に勧請された」と述べた上で、天長7年(830年)に田川郡金田町(現・福智町)の稲荷神社、元慶4年(880年)には企救郡西谷村徳吉(現・北九州市小倉南区)の稲荷神社が創建されたことを記している。調べたところ、両神社とも現存している。

 両者に名前が出てくる稲荷信仰の総本社、京都伏見稲荷大社の創建は、奈良時代の和銅4年(711年)。それから500年以上も後の鎌倉時代まで、九州に稲荷信仰が広がらなかったとは考えられないので、『神社誌』の方が歴史を伝えているのではないかと思う。ただ、松山神社の由緒についても、神社の社伝などではなく第三者の文献に記録されている稲荷神社としては九州最古、といった意味ならば、間違いではないのだろう。

 杉山神社についても触れておくと、この神社は、かつては西新にあった紅葉八幡宮の境内社だった。1910年(明治43年)、北筑軌道(路面電車)が境内を横切るようになり、喧騒を嫌った八幡宮は1913年(大正2年)、現在地の早良区高取に移ったが、杉山神社だけは西新にとどまったという。1821年に完成した福岡藩の挿絵付き地誌『筑前名所図会』に、西新にあった当時の紅葉八幡宮が描かれているが、広大な境内の一角に、平仮名で「いなり」と記された小さな社がある。恐らく、これが杉山神社だろう。
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ジイジ

松山稲荷神社の思ひ出

もう50年以上前のことになりますが、友人が離れを間借りしていた”ピオネ荘”を訪ねる際、いつも松山稲荷の路地を通っておりました。
 その時から20年ほど経ったころその友人と再訪した時ピオネ荘跡地は駐車場になっており、松山稲荷のお狐様の片耳が欠けているのを発見し寂しさを覚えました。
 今回の駄田泉氏のUPされた画像を子細にみると、お狐様の耳は元に戻り、神社もきちんと守られているのをみて大変うれしくなりました。

2020/04/20 (Mon) 10:28
駄田泉

駄田泉

Re: 松山稲荷神社の思ひ出

コメントありがとうございました。はっきりした記憶ではありませんが、数年前に改修が行われ、鳥居がきれいになるとともに、看板も新調されました。それ以前から、きれいに掃除され、お供え物も欠かさず供えられており、大事にされている様子はあります。それにしてもピオネ荘は懐かしいですね。

2020/04/21 (Tue) 10:48