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猿田彦神社でコロナ退散祈願

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 仕事帰りに寄り道をして福岡市早良区藤崎にある猿田彦神社に参拝してきた。新型コロナの感染拡大で緊急事態宣言が出されている中だけに、「何をのんきに!」と非難されるかもしれないが、コロナ退散を祈願してきたのだ。この神社で、庚申の日に授与される猿面は「災いが去る」と言われる縁起物だが、疱瘡(天然痘)除けの民間信仰が起源との話もある。こじつけは承知だが、コロナは新たな災いであり、天然痘と同じウイルス感染症でもある。この神社ならば、きっと霊験あらたかだろうと思った。

 神社もコロナ対策が取られていた。写真は拝殿だが、鈴ひもは梁の上で結ばれ、参拝客が触れないようになっていた。手水鉢の手ぬぐいも撤去されていた。もともと庚申の日以外には神職は常駐しておらず、参拝客も決して多いわけではないが、それにしても境内は静かだった。

 この神社については以前、歴史を調べたことがあるが、ほとんど何もわからなかった。文献に全く名前が出てこないのだ。例えば、このブログを書くに当たって度々参考にしている『筑前国続風土記』『石城志』『太宰管内志』『筑前名所図会』といった藩政時代の地誌には一切記載がない。鳥居に「明治三十九年五月再建」(※西暦では1906年)と刻まれており、これ以前から神社が存在していたのは間違いないが、1945年刊行の『福岡県神社誌』にもこの神社の名前は見当たらない。毎年の初庚申の大にぎわいを思えば、神社について書かれた資料がもう少しあってもよさそうなものだが、不思議なくらい資料がないのだ。

 神社の公式サイトにも、猿田彦信仰と、道教を起源とする庚申信仰とが結びついた経緯は詳しく紹介されているが、歴史については「ここ藤崎の猿田彦神社も唐津に延びる唐津街道の出入り口に建立され、数百年の歴史を紡いでいます」とある程度だ。「数百年」という言葉に、同神社の判然としない歴史がよく表れているが、同時に、判然としない理由もこの一文から想像できないでもない。

 もともとは唐津街道沿いに人知れず建てられた道祖神で、これが次第に人々の信仰を集め、やがて神社に発展していったのではないだろうか。近世の地誌や『福岡県神社誌』に記載がないことを考えると、神社としての形を整えたのは、恐らくは近代以降のことで、戦前の近代社格制度の下では「無格社」だったのだろう。

 探し当てることができた猿田彦神社について書かれた数少ない資料は、僧であり郷土史家でもあった佐々木滋寛の『博多年中行事』(1935)で、これには初庚申の祭りについて「市内西新町藤崎の猿田彦神社ではこの日庚申祭を行ひ、盗難除の土の猿面を頒つ。博多の町家の戸口には之を吊した所がある」と紹介されていた。猿面を飾る風習が、少なくとも戦前には市内に広まっていたことがわかる。神社の格式は仮に低くても、そのご利益は市民に知れ渡っていたのだろう。
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