本当に始まった福岡城潮見櫓復元

2020年05月23日
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史跡探訪
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 福岡市中央区にある福岡城潮見櫓跡地で、工事が行われている。跡地が工事用フェンスで囲われ、潮見櫓の石垣保存修復工事を告知する看板が立てられていることを先日「福岡城潮見櫓の復元、ようやく着工?」の中で紹介したが、その工事が始まったものとみられる。工事予定地内の樹木伐採もすでに終わり、明治通り側から見た櫓跡地は、妙にすっきりした状態になっている。(写真1枚目が今月12日、2枚目が22日撮影。3枚目が城内側から見た跡地)

 最初に訂正をさせていただきたい。「福岡城潮見櫓の復元、ようやく着工?」の中で、保存修復工事が行われる石垣は、土塁の基礎部分に当たる腰巻石垣だと書いていたが、樹木が伐採され、雑草が刈り取られた潮見櫓跡地に、石垣の残骸らしきものが顔を出した。ここで、保存修復工事が予定されている石垣とは、腰巻石垣ではなく、櫓の基壇部分の石垣のことだと気付いた。

 跡地で最近まで行われていた発掘調査の結果はまだ、公になっていないが、1997年に行われた櫓跡地の発掘調査報告書を調べたところ、東西14.2㍍、南北16.2㍍の石垣が地中に残っていることが確認されていたとわかった。潮見櫓が、福岡藩主・黒田家の菩提寺・崇福寺(博多区千代4)に移築され、仏殿として利用されていた当時の写真を見ても、建物の下には確かに小さな石垣がある。櫓が福岡城内に建っていた当時の石垣はもっと大規模で、基底面からの石積みは6~8段程度、高さは2.5~3.2㍍だったと推定されている。(崇福寺当時の姿は下の写真参照。右側が潮見櫓、左側が拝殿として利用されていた花見櫓。福岡市教委の報告書から借用)

 潮見櫓跡地は戦後の1945年から56年まで、隣接地の現・かんぽ生命福岡サービスセンターが米陸軍の病院として使用されていた際、その駐車場となっていた。56年に米軍から返還された後は、今度は当時城内にあった国立福岡中央病院(現・九州医療センター)の駐車場などとして利用されていた。調査は、病院の中央区地行浜移転が決まったため、櫓復元に備えて行われたもので、調査報告書は『潮見櫓・時櫓整備に伴う確認調査報告』と銘打たれている。91年に潮見櫓・花見櫓を崇福寺から買い戻し、97年には跡地の発掘調査を行っているのだから、福岡市は90年代、櫓の復元に前向きだったことがわかる。

 ところが、この熱意は一気に冷め、櫓の部材は長い間放置されることになった。福岡市の熱意が冷めたのは、調査報告書の刊行が10年後の2007年だったことからもわかる。復元はおろか、報告書の刊行にさえ、まともに予算がつかなくなったのだ。98年の市長選で、現職の桑原敬一氏が新人の山崎広太郎氏に敗れており、これが影響した可能性がある。ちなみに山崎氏が3選を果たせなかったのは06年の市長選。報告書の刊行が07年というのは、なかなか示唆的かもしれない。

 2014年度に策定された『福岡城跡整備基本計画』で、復元は仕切り直しとなったが、すでにこの計画も大幅に遅れ気味だ。計画通りならば、櫓復元は2018年度末までには終わっていたはずなのに、現実にはようやく石垣修復が始まった段階。この工事が来年8月末までの予定で、その後に始まる櫓の本体工事が仮に1年で終わったとしても、計画より5年遅れることになる。最初に復元が持ち上がった1990年代まで遡れば、30年もの遅れだ。今度こそ復元が進みそうな気配ではあるが、過去の経緯が経緯だけに、正直なところ、今も半信半疑でいる。


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 ※「野地卓が奪ったもの」を全面的に書き直し、タイトルも「生活圏で起きた女性刺殺事件」に変更しました。
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