2020/06/05
稼働を待つ朝倉の水車群
福岡県朝倉市の直売所に農産物を買いに行き、ついでに今月17日からの稼働を始める「菱野の三連水車」を見てきた。今年は5年に一度の作り替えの年に当たるらしく、水車はまだ骨組みの状態で、周囲には水を汲み上げるための柄杓など真新しい部品が積まれていた。新聞やテレビでは三連水車の話題しか取り上げられないが、ほかに久重、三島の二連水車が近くにはある。これらの水車群と、筑後川の水を供給する堀川用水は1990年、セットで国の史跡に指定され、朝倉市のシンボル的な存在ともなっているが、一時は消滅の危機に直面していたという。
三連水車は、堀川用水よりも高い場所に開発された水田に水を送るため、1789年(寛政元年)に完成、久重、三島の二連水車もほぼ同時期に作られたとみられている。現在も稼働している灌漑用の水車としては国内最古だという。計7基の水車は1日2万㌧もの水を汲み上げる能力があり、現在も35㌶の水田を潤している。水しぶきを上げて豪快に回り続けている姿は「水田のSL」などとも呼ばれ、晴れている時も曇っている時も絵になる存在だ。
堀川用水と水車群を管理しているのは、1,250戸が加わる山田堰土地改良区で、5年に一度の水車の作り替えは、同改良区が毎回数百万円の費用を負担して行っているという。また、稼働後の維持管理にも非常に手間暇がかかる。このため改良区では40年程前、水車を撤去し、電動ポンプに切り替える話が持ち上がったという。「国内最古の灌漑用水車」という誇るべきキャッチフレーズも、この時にはむしろ、「時代遅れ」「前近代的」の同義語と受け取られていたようだ。
「水車は後世に伝えるべき貴重な遺産だ」と訴え続けた在野の研究者、香月徳男さん(2006年、79歳で死去)の活動が、広く町民の支持を得たこともあり、この時は危機を脱したが、水車を維持するための費用や手間暇が軽減されたわけではない。地元では「あさくら三連水車保存会」が結成され、募金活動などを行っているが、国内の農業が危機に瀕している限り、安心できる状況にはなり得ないと思う。水車群を守るために何より重要なことは、やはり朝倉の農業を盛り立てていくことだろう。
水車群の恩人とも言える香月徳男さんについても簡単に触れておくと、日本の古い建築に魅せられ、44歳で郵便局を退職し、在野の研究者となった人物。朝倉の水車群とのかかわりが縁で、西日本水車協会(後に日本水車協会に発展)を設立し、水車の保存と製作技術の継承に力を注いだという。特徴的な白いあごひげと温和な風貌は、どことなく見覚えがあると思ったら、久留米市にある柳坂曽根のハゼ並木について調べた際、ハゼ並木保存の立役者として紹介されていた人だった。この人の存在がなければ、福岡県から魅力的な景観が二つも失われていたことになる。
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