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日田彦山線復旧、BRT転換で決着

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 JR日田彦山線(城野~夜明、68.7㌔)のうち、2017年7月の九州北部豪雨で被災し、不通が続いていた添田(福岡県添田町)~夜明(大分県日田市)間の約29㌔が廃線となり、BRT(バス高速輸送システム)に転換されることが事実上決まった。被災区間の沿線自治体(添田町、福岡県東峰村、日田市)の中で、唯一、鉄道での復旧を強硬に訴え続けていた東峰村が涙をのんだ形だ。「村の宝を失った」と、東峰村では悲嘆や不満が渦巻いていると報道されているが、福岡県立大が以前行った村民アンケートの結果を見て、少し疑問を覚えた。日田彦山線は、本当に「村の宝」だったのだろうか。

 日田彦山線の復旧問題を簡単に振り返っておくと、九州北部豪雨で同線は、橋梁が損傷したり、線路が流出したりなど53か所も被災し、列車運行は不可能となった。JR九州と、福岡、大分両県を含めた沿線自治体との話し合いは最初、鉄道復旧を前提に進めることで一致していたが、JR側が添田~夜明間の赤字穴埋めのため、復旧後は年間1億6000万円の負担を自治体側に要求したことで紛糾し、議論は一歩も進まなくなった。昨年4月になって、JR側が鉄道復旧に加えて、被災区間の路線バス転換、一部専用道を走るBRT転換の2案を新たに提示し、バス2案は自治体負担を求めないと明言すると、早急な復旧を望んでいた添田町、日田市はBRT容認に方針転換した。知事さえもBRTに傾き、孤立を深めた東峰村は今年5月、鉄道復旧を断念せざるを得なかったという経緯だ。

 廃線となる区間にある駅は、歓遊舎ひこさん、豊前桝田、彦山(以上、添田町)、筑前岩屋、大行司、宝珠山(以上、東峰村)、大鶴、今山(以上、日田市)の8駅。終点の夜明は久大線の駅でもあるため、これに含まれない。歓遊舎ひこさんは同名の「道の駅」敷地内に2008年に新設された駅で、実働10年に満たない期間で廃止となる。また、東峰村は鉄道空白地帯となる。同じ沿線自治体と言っても、小倉方面への鉄路が残る添田町、久大線が別に通る日田市とは、廃線区間の重要性はまるで異なる。村があくまでも鉄道復旧にこだわったのも当然と思えるが、福岡県立大によるアンケート結果からは、相反する実態が見えてくる。村民は被災前から、日田彦山線をほとんど利用してはいなかったのだ。

 このアンケートは「東峰村における住民の生活行動と行政の取り組み」と題し、 山村地域の住民生活や地域おこしの課題について把握しようとしたもので、2018年1月、無作為抽出した村内の460人に調査票を送付し、196人から回答を得たという。質問項目は「人口減少と過疎への対策について」「買い物や通院、交通手段について」など計35問。交通手段絡みの質問では、調査当時に加えて、日田彦山線被災前の2017年4月頃の状況についても尋ねている。

 同線に関係する質問と回答を一部抜き出してみると、食料品購入の方法を尋ねた質問では、2017年4月頃の状況は、「自分で車で買いに行く」が66.8%と他を大きく引き離し、続いて「家族に車で連れて行ってもらう」11.2%、「家族・親類・友人に買ってきてもらう」5.1%、「宅配や通信販売を利用する」4.1%の順で、「自分でバスや列車で買いに行く」はわずか2.0%に過ぎなかった。通院方法もほぼ同様の傾向で、「自分で車で行く」が73.0%、「自分でバスや列車で行く」が4.1%。公共交通機関の利用頻度を尋ねた質問では、「ほとんど利用しない」が78.1%だったのに対し、「ほぼ毎日」はゼロに等しい1.0%。被災区間が不通となった調査時点の状況では、「ほとんど利用しない」が85.2%にまで増え、「ほぼ毎日」は完全にゼロとなった。

 日田彦山線の復旧を巡る話し合いは、JRと沿線自治体、中でも東峰村との間で妥協点を探る動きが全くなかったように見え、違和感を覚えていたのだが、このアンケート結果を見て、納得するところがあった。JR側から費用負担を求められても、村民がほとんど利用していない鉄道に対し、東峰村としては、びた一文も支払う気にはならなかっただろうし、それがわかっていたJR側も「だったら、このまま廃線でも構わない」と冷徹に判断していたのだろう。なるべくしてなった鉄道廃線、BRT化のように思える。

 被災区間の廃止により、日田彦山線は今後、城野(北九州市小倉南区)と添田とを結ぶ約40㌔の路線となり、鉄道としては日田とも彦山とも無縁となる。いずれ名称変更が持ち上がることが予想され、終着駅の名前を取った「添田線」という名前が一瞬思い浮かんだが、「それだけは絶対ないな」とすぐに自分で打ち消した。添田線とは国鉄時代に実際にあった路線で、香春~添田間約12㌔を結び、100円を稼ぐのに3,000円以上の経費がかかる日本一の赤字線として有名だった。1985年に廃止となったが、不名誉な歴史を振り返れば、復活させるべき名称だとは思えない。(写真は北九州市小倉南区の志井公園~志井間で撮影)
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