2020/06/24
宇佐神宮で余生を送る『しあわせなクラウス』
以前、大分県宇佐市の宇佐神宮に参拝した際、参道脇にSLが展示されていたので、写真に収めてきた。「神社になぜ、SLが?」と一瞬不思議に思ったが、傍らにあった説明パネルを読み、これが名高い『しあわせなクラウス』だとようやく気付いた。「クラウス号」こと26号蒸気機関車(以下、26号)は、明治時代の九州の鉄道草創期を駆け抜けた車両の唯一の生き残りで、今でも非常に大事にされていることが、漆黒に輝く車体を見るだけでわかった。『しあわせなクラウス』とは、26号を題材にした絵本のタイトルだが、ゆかりの深い宇佐神宮境内で、タイトル通りの余生を送っている。
26号は1891年(明治24年)、愛称の由来ともなったドイツのクラウス社で製造された車両で、長さ7.5㍍、高さ3.6㍍、重さ18㌧。後の時代に活躍した有名なC62(全長約21㍍、高さ約4㍍、重さ約89㌧)などと比べれば、相当小型だが、当時としては高い性能を持ち、1889年に開業した九州最初の鉄道、九州鉄道(国鉄を経て現在はJR九州)は同形のSLを多数輸入していた。26号は、九州鉄道のメイン路線だった博多~久留米間を主に走り、一線を退いた大正時代は、鳥栖機関区で列車の入れ替え作業に従事していたという。
宇佐神宮で余生を送るきっかけとなったのは、戦後間もなくの1948年、大分交通に譲渡され、宇佐参宮線で再び客車を引き始めたことだ。宇佐参宮線とは文字通り、宇佐神宮に参拝客を運ぶための路線で、豊後高田から神宮までの約9㌔を結んでいた。同線が路線バスとの競争に敗れ、1965年に廃線となるまで26号は働き続け、この縁で同年、宇佐町(現・宇佐市)に寄贈され、境内の一角が終の棲家となった。ただ、70年以上も働き続けた堅牢な車体も、製造から1世紀以上を経た2000年ごろには老朽化が目立ち始めた。地元のライオンズクラブらが募金活動を行い、集まった資金で、26号は北九州市の修理工場で丁寧に補修された。2007年に地元で出版された『しあわせなクラウス』ではこれらのエピソードが紹介されている。
福岡県内には以前、26号とは対照的な扱いをされていたSLがあった。「SL用の石炭を産出する炭鉱があった」という意味不明な理屈でSLをもらい受けながら、野ざらしの状態で朽ち果てるまで放置し、挙句の果てに廃棄しようとした町があったのだ。『しあわせなクラウス』出版は、宇佐市ぐるみでの保存運動を自賛する意味もあるが、悲惨な目に遭っていた旧炭鉱町のSLと比べ、26号が非常に恵まれた境遇にあることに嘘はない。
福岡県の旧炭鉱町にあったSLは、幸運なことに解体寸前で大分県玖珠町に引き取られ、豊後森機関庫(下の写真)というSLにとっての聖地みたいな場所で、今ではこちらも幸せな余生を送っている。玖珠町議の間ではこれを機会に、福岡県の旧炭鉱町と姉妹縁組を結んではどうかという意見もあったらしいが、SLの保存一つをとっても考え方がこれだけ違うのだから、止めておいた方が無難だと思う。
参考文献は、『九州遺産』(砂田光紀、2005)、『福岡鉄道風土記』(弓削信夫、1999)、『九州の駅・珍談160話』(同、2011)など。
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