2020/08/12
補習をさぼり人吉の図書館で過ごした高2の夏
JR肥薩線(八代~隼人、124.2㌔)が、令和2年7月豪雨で二つの鉄橋が流出するなど大きな被害を受け、八代~吉松間86.8㌔が不通となっている。全線が非電化単線の典型的なローカル線だが、明治、大正時代の鉄道施設が数々残り、近代化遺産、産業遺産とも呼ぶべき路線でもある。一方で、過疎化により、平均通過人員(1㌔当たりの1日平均利用客)はJR九州の全路線の中でワースト、年間の赤字額は全線で12億円近くにも上っていた。その状況下で壊滅的な被害を受け、復旧のめどが立たないどころか、鉄道としての存続さえ危ぶまれる状況だ。
流出した鉄橋とは、いずれも1908年(明治41年)に完成した球磨川第一、第二橋梁で、大畑(おこば)駅のスイッチバックやループ線、人吉駅の石造りのSL機関庫、開業当初の姿を残す大畑、矢岳駅舎などとともに、肥薩線を代表する貴重な鉄道遺産の一つだった。両橋梁ともに米国人技師が設計し、使われている鋼材も米国で製造されたもので、八代以南の鉄道敷設には米国の技術が多用されているという。2橋をはじめとする被災箇所は全線で450か所にも上っており、JR九州社長は会見で「復旧には少なくとも1年以上かかる」と述べたと報道されている。
この「1年以上」という言葉の真意は、全くの想像だが、「現段階では、復旧までの期間は皆目見当がつかない」ではないかと思う。2016年4月の熊本地震で被災した豊肥線(大分~熊本、148.0㌔)が全線の運行再開を果たしたのは、つい先日の8月8日のことで、復旧には4年4か月もの月日を要した。一方、2017年7月の九州北部豪雨で被災した日田彦山線の添田~夜明間の29.2㌔はこのほど、鉄道としての復旧を断念し、BRT(バス高速輸送システム)に転換されることが決まった。肥薩線が鉄道として存続する場合でも、全線復旧までには恐らく相当の期間が必要ではないかと思える。
私は中高校生だった1970年代、この肥薩線で度々、祖父母の住む熊本県人吉市に行っていた。今はなき急行「くまがわ」「えびの」を使って、博多~人吉間の所要時間は3時間半程だっただろうか。家にいても面白くもないので、夏休みや冬休みには祖父母の家に遊びに行っていたのだが、数日もすると飽きてくる。暇つぶしのため連日のように通っていたのが、当時、人吉城址にあった市立図書館だった。特に、体調が悪いとの口実で夏休みの補習をまるまるさぼった高校2年の夏休みには、この図書館で相当数の本を読んだ。あれほど読書三昧だった日々は、後にも先にもない。
読んだ本の多くは娯楽小説、中でもそれまではあまり興味のなかった時代小説で、この夏以来、柴田錬三郎のファンになった。ただ、学力向上の面では特に効果はなく、夏休み後に行われた実力試験の成績は、補習を全休したのだから、当然ながら悲惨極まるものだった。それ以上にショックだったのは、40日ぶりに会った級友たちから「熊本に転校したんじゃなかったの?」とクールに迎えられたことだったが。
話を肥薩線に戻すと、この路線は1909年(明治42年)に「鹿児島本線」として全線が開業した。有名な路線なので、歴史についてはこまごまと記さないが、開業当初は、この路線こそが九州を貫く幹線だったのだ。しかし、1927年(昭和2年)10月に八代~鹿児島間の沿岸部ルートが開業すると、こちらが鹿児島本線となった。肥薩線は主要幹線から外れて地方線に格下げされ、そのため、複線化、電化等の近代化の対象とならずに、明治に建設された鉄道施設がそのまま残ったといわれる。これに霧島連山やえびの高原の雄大な車窓風景も加わり、同線を走る特急「いさぶろう・しんぺい」は観光客に大変な人気だったという。
しかし、冒頭書いたように、2018年度の平均通過人員は417で、JR九州が抱える路線の中ではワースト。次いで少ないのが、吉都線(吉松~都城、61.6㌔)の465、日南線(南宮崎~志布志、88.9㌔)の752で、沿線人口の減少が進む南九州を走る鉄路の厳しさが際立つ。また、区間ごとに公表されている同年度の肥薩線の赤字額は、八代~人吉間が5億7300万円、人吉~吉松間が2億6100万円、吉松~隼人間が3億5900万円で、全線では11億9300万円にも上る。観光客には人気ながらも、沿線住民の日常の足としては利用されていないのだろう。「生きた産業遺産」などと評価されながらも、採算性の悪さと、またもあらわになった災害リスク。残すにはJR九州の経営判断だけでなく、政治的決断も必要になってくる気がする。
参考文献は、『肥薩線の近代化遺産』(2009)、『九州遺産』(2005)、『魅惑の鉄道橋』(2016)など。
流出した鉄橋とは、いずれも1908年(明治41年)に完成した球磨川第一、第二橋梁で、大畑(おこば)駅のスイッチバックやループ線、人吉駅の石造りのSL機関庫、開業当初の姿を残す大畑、矢岳駅舎などとともに、肥薩線を代表する貴重な鉄道遺産の一つだった。両橋梁ともに米国人技師が設計し、使われている鋼材も米国で製造されたもので、八代以南の鉄道敷設には米国の技術が多用されているという。2橋をはじめとする被災箇所は全線で450か所にも上っており、JR九州社長は会見で「復旧には少なくとも1年以上かかる」と述べたと報道されている。
この「1年以上」という言葉の真意は、全くの想像だが、「現段階では、復旧までの期間は皆目見当がつかない」ではないかと思う。2016年4月の熊本地震で被災した豊肥線(大分~熊本、148.0㌔)が全線の運行再開を果たしたのは、つい先日の8月8日のことで、復旧には4年4か月もの月日を要した。一方、2017年7月の九州北部豪雨で被災した日田彦山線の添田~夜明間の29.2㌔はこのほど、鉄道としての復旧を断念し、BRT(バス高速輸送システム)に転換されることが決まった。肥薩線が鉄道として存続する場合でも、全線復旧までには恐らく相当の期間が必要ではないかと思える。
私は中高校生だった1970年代、この肥薩線で度々、祖父母の住む熊本県人吉市に行っていた。今はなき急行「くまがわ」「えびの」を使って、博多~人吉間の所要時間は3時間半程だっただろうか。家にいても面白くもないので、夏休みや冬休みには祖父母の家に遊びに行っていたのだが、数日もすると飽きてくる。暇つぶしのため連日のように通っていたのが、当時、人吉城址にあった市立図書館だった。特に、体調が悪いとの口実で夏休みの補習をまるまるさぼった高校2年の夏休みには、この図書館で相当数の本を読んだ。あれほど読書三昧だった日々は、後にも先にもない。
読んだ本の多くは娯楽小説、中でもそれまではあまり興味のなかった時代小説で、この夏以来、柴田錬三郎のファンになった。ただ、学力向上の面では特に効果はなく、夏休み後に行われた実力試験の成績は、補習を全休したのだから、当然ながら悲惨極まるものだった。それ以上にショックだったのは、40日ぶりに会った級友たちから「熊本に転校したんじゃなかったの?」とクールに迎えられたことだったが。
話を肥薩線に戻すと、この路線は1909年(明治42年)に「鹿児島本線」として全線が開業した。有名な路線なので、歴史についてはこまごまと記さないが、開業当初は、この路線こそが九州を貫く幹線だったのだ。しかし、1927年(昭和2年)10月に八代~鹿児島間の沿岸部ルートが開業すると、こちらが鹿児島本線となった。肥薩線は主要幹線から外れて地方線に格下げされ、そのため、複線化、電化等の近代化の対象とならずに、明治に建設された鉄道施設がそのまま残ったといわれる。これに霧島連山やえびの高原の雄大な車窓風景も加わり、同線を走る特急「いさぶろう・しんぺい」は観光客に大変な人気だったという。
しかし、冒頭書いたように、2018年度の平均通過人員は417で、JR九州が抱える路線の中ではワースト。次いで少ないのが、吉都線(吉松~都城、61.6㌔)の465、日南線(南宮崎~志布志、88.9㌔)の752で、沿線人口の減少が進む南九州を走る鉄路の厳しさが際立つ。また、区間ごとに公表されている同年度の肥薩線の赤字額は、八代~人吉間が5億7300万円、人吉~吉松間が2億6100万円、吉松~隼人間が3億5900万円で、全線では11億9300万円にも上る。観光客には人気ながらも、沿線住民の日常の足としては利用されていないのだろう。「生きた産業遺産」などと評価されながらも、採算性の悪さと、またもあらわになった災害リスク。残すにはJR九州の経営判断だけでなく、政治的決断も必要になってくる気がする。
参考文献は、『肥薩線の近代化遺産』(2009)、『九州遺産』(2005)、『魅惑の鉄道橋』(2016)など。
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コメント
球磨村にて
瀬戸石駅にはほぼ毎年通っていたのですが、跡形もなく流されて瀬戸石駅のプレートのみが虚しく瓦礫に埋まっている状況でした。
また鉄道が走っているところをみたいですね