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北総鉄道の沿線にあった市川歴史・考古博物館

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 市川市堀之内の市川歴史・考古博物館に行ってきた。ネットで北総鉄道の観光案内を見ていたら、北国分にある。北国分からは歩いて数分かからない距離と聞いて、それでは行ってみようとなった。

 歩いて10分のところに歴史博物館にはあった。設立趣旨に「首都東京に隣接する地域として近年急激な都市化が進み、昔の人々の生活を理解していくために必要な多くの資料が消失しつつあります」とあった。30年近く前、市川に住んでいたことある。とはいっても東京には住めずに、市川の高層マンションに入居しただけ。「千葉都民」であった。設立趣旨には「昭和五十七年十一月」と日付が書かれていた。市川に住んでいた時代にもうあった。

 現在、5室ある。「中世以降の市川」「海辺の人々の生活」「水路と陸路」「台地の人々の生活」「郷土コーナー」。ところ狭しと並べてある。「海辺の人々の生活」が面白かった。「江戸時代、行徳は製塩が盛んになります」とあり、年貢の一部を支払ったり、西日本産の塩の取引を行ったりもしていた。そう言えば、行徳の箇所は、柴田錬三郎の『眠狂四郎』『おらんだ左近』の小説に出ている。
 
 そこから2分ぐらい坂道を通って考古博物館がある。坂道は、国指定史跡の堀之内貝塚で、縄文後期から晩期(約4000~2500年前)の地域の中心集落であったという。歴史、考古博物館も同じ敷地に建てられている。考古博物館の開館は72年。先土器、縄文、弥生、古墳、奈良・平安時代の文物が収納されている。竪穴式住居(約4500年前)に5体の人骨が埋葬され、地震説やフグ中毒説が出されていることも興味深かった。レプリカの漢委奴国王の金印を初めて見た。あの時代に見たかったと痛感した。


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