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1973年に建てられた開拓記念之碑

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 草深稲荷神社(印西市草深)から西へ5分程のところに原青年館があり、『開発記念之碑』がある。千葉ニュータウンの造成に伴うもので、船穂開拓農業協同組合によって1973年2月に建てられた。1945年、印旛飛行場跡地の開拓から28年。船穂開拓農協の組合員約90人にはどのような思いでいただろうか。
 
 1945年11月、緊急開拓事業実施要領に閣議決定され、時を同じくして印旛飛行場跡地に開拓の槌音が響いた。終戦直後の食糧難の時代、開拓等によって農地を広げて食糧増産を図るとともに、復員軍人や引き揚げ者らに働く場を与えるのが目的だったとされる。

 印旛飛行場跡地も当初は不毛の地であったものの、スイカ、ゴボウなどの野菜栽培が中心となった。しかし、千葉ニュータウンの造成地に指定され、団体交渉の結果、移転が決まった。

 開発記念之碑に「千葉県知事 友納武人書」の表書きがあった。友納は知事を1963~75年に三期務め、「千葉県中興の祖」「開発大明神」の異名を取った。成田空港(主役は日本政府だったが、千葉県もかかわった)と何が違ったのだろうか。


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